生まれはド田舎、好きな事だけをしてきた少年時代。
そして、東京の予備校に行き、毎朝朝まで遊んだ。
その結果、四浪した。
そして、東京の予備校に行き、毎朝朝まで遊んだ。
その結果、四浪した。
鹿児島10代前半
東京10代後半
鹿児島で育った少年時代。親父に将来「癌」と闘う医者になってみないかと言われた。卒業間近の三者面談で親父に悔しい思いをさせた。
高校卒業し上京、朝まで遊んだ。結果、四浪。「あの子なら大丈夫」とかばってくれたおふくろの言葉を胸に必死で勉強した。人生最大の踏ん張り時だった。
恩師から学んだことは
"一番きついとき、苦しいとき、 絶対に逃げない"
という事だ。
"一番きついとき、苦しいとき、 絶対に逃げない"
という事だ。
大学20代前半
千葉再び、首都圏30代前半
茨城再び、がんじがらめ病院30代半ば
宮崎大学病院での勤務30代後半
22歳で鹿児島大学に合格。人生の師である小林先生に出会う。
28歳で卒業、いきなり経営者!!??
昭南病院で働くことを決めるまでのストーリー。
「きちんとした当たり前の医療を行うことが、
経営的にも決してマイナスにはならない」 と確信。
経営的にも決してマイナスにはならない」 と確信。
鹿児島とんでもない病院40代後半
活気のなかった病院が働く職員も患者様も満足のいく病院に変わっていった。
少しずつできることを本気で行った結果、今がある・・。
その他の朝戸院長のメッセージは メディア紹介 にてぜひご覧ください。